2015年08月


 「この程度のことしかしてくれないのか」 という不満が、 「よくここまで
やってくれた」 という感謝に変わる。 感謝の基本は報いを求めないこと
である。 「これくらいのことをしてくれても当たり前」 という気持ちが、感
謝を妨げる。 こういう期待を一切忘れてしまえばいい。 後に残るのは感
謝だけである。

 こちらの表現は相手の笑顔を誘う。 家族との暮らしの中で社会の付
き合いでも、自分から四方八方への笑顔が水面の波紋のように広がっ
ていけば、これはなにものにも替えがたい喜びである。

 年をとるとおしゃべりになるのは、たくさんのことを
 見てきたからであり、また、やがて永遠に話すことが
 なくなってしまうからである。
 ジョゼフ?ホ―ル

昨夜のブログの続きですが、会津八一師のこと。若い頃読ませて頂き、心
に残っています。またこうして読めたことがありがたいことです。たぶん、
 
 小島直記氏の本を、読ませて頂いていたと考えているのです。

 昨夜、「鳩の橋」小笠原忠著です。(お名前を間違え失礼しました。)

 

 
「人間?出会いの研究」小島直記著より

 昭和40年の「文学界」10月号に載った小笠原忠の小説「鳩の橋」に次のように
書かれている。(このことは、拙著「志に生きた先師たち」に引用しているが、会津
の人柄を知る上でまこと思い、再掲したい)――省略ーー

―――一部 抜粋ーーーー

 三年生のとき。
 「私」はある日、担任の先生ならぬ教頭先生から直接呼び出しをくった。
 学校の隣は犬養毅(注 首相のとき、5?15事件で青年たちにピストル
 で撃たれ、死亡)の邸。そこに忍びこんで、糸とハリで、鳩を釣ろうとし
 て三大夫(執事)の老人につかまったが、そのことがもうわかったのかと
 おそるおそる教頭室に入る。
はたして、教頭先生のそばに袴をつけた三太夫の老人がいて、

 「この生徒です。教頭に処罰して頂きたい」
と声をはりあげた。

今、わたしは、3世代同居をしていて。。。
毎日、毎日、孫た旅遊團購ち(一人また増えました)の世話係&家事係に組み込まれ、
婿さんや、娘婿さんやら、次女やら、指揮官?長女やらと、暮らしている???。
いつも平素の家族数より、4名多い???。

毎日毎日、桃色吐息ならぬ、青色吐息。

そこへ、突然、前触れもなく、息子が帰省してきたりして、
わたしとしては、日ごろの家事能力をはるかにオーバーしている。

彼は、直前メールで、
「今日、家に誰かいる? 帰ろうと思うけど、遅いから、ほっといて先に寝といていいわ」
と知らせてくるだけなので、準備もなんにもできない。
そのメールに気づいたのは、わたしがベッドに入った後、当日、夜の10時半過ぎだった。
第一、今、4人増えているので、息子をどこに寝かせよう????
あたふたとベッドから飛び起き、布団などの用意をして、「ほっておいて」という指示通り、
また寝て、夜中ら、息子が電灯を煌々とつけて読書していて、びっくり。
「あれ? 帰ってたん? おやすみ」と、シンプルあいさつは、終わり、
わたしは、トイレの後、Uターンして、彼の部屋を通り過糖尿ぎ、自室に戻ってまた寝た。

息子は、遠路、海を渡ってはるばる、
深夜に帰ってきて、翌日の朝8時過ぎには帰ってしまったので、
何しに来たの?状態ではあったが。
うちは、無料の宿屋です。か?

と、今も、夫、娘婿の出勤、上孫の保育園、と、時間差攻撃でバタバタ順次、出て行き、
家には、下の孫が、ぽんと置かれている。
見といてね、ってことだ。

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