「この程度のことしかしてくれないのか」 という不満が、 「よくここまで
やってくれた」 という感謝に変わる。 感謝の基本は報いを求めないこと
である。 「これくらいのことをしてくれても当たり前」 という気持ちが、感
謝を妨げる。 こういう期待を一切忘れてしまえばいい。 後に残るのは感
謝だけである。

 こちらの表現は相手の笑顔を誘う。 家族との暮らしの中で社会の付
き合いでも、自分から四方八方への笑顔が水面の波紋のように広がっ
ていけば、これはなにものにも替えがたい喜びである。

 年をとるとおしゃべりになるのは、たくさんのことを
 見てきたからであり、また、やがて永遠に話すことが
 なくなってしまうからである。
 ジョゼフ?ホ―ル

昨夜のブログの続きですが、会津八一師のこと。若い頃読ませて頂き、心
に残っています。またこうして読めたことがありがたいことです。たぶん、
 
 小島直記氏の本を、読ませて頂いていたと考えているのです。

 昨夜、「鳩の橋」小笠原忠著です。(お名前を間違え失礼しました。)

 

 
「人間?出会いの研究」小島直記著より

 昭和40年の「文学界」10月号に載った小笠原忠の小説「鳩の橋」に次のように
書かれている。(このことは、拙著「志に生きた先師たち」に引用しているが、会津
の人柄を知る上でまこと思い、再掲したい)――省略ーー

―――一部 抜粋ーーーー

 三年生のとき。
 「私」はある日、担任の先生ならぬ教頭先生から直接呼び出しをくった。
 学校の隣は犬養毅(注 首相のとき、5?15事件で青年たちにピストル
 で撃たれ、死亡)の邸。そこに忍びこんで、糸とハリで、鳩を釣ろうとし
 て三大夫(執事)の老人につかまったが、そのことがもうわかったのかと
 おそるおそる教頭室に入る。
はたして、教頭先生のそばに袴をつけた三太夫の老人がいて、

 「この生徒です。教頭に処罰して頂きたい」
と声をはりあげた。